自分で見つけた答えには、「自分を責める声」が出てこない
- 尾飛良幸DMT

- 8月10日
- 読了時間: 5分
昨日、鎌倉で「レジェンドサロン」に参加してきました。
鶴岡秀子さんが主催されている、月に一度、さまざまな人が集まって、人生を豊かにするために学び、対話する場です。
今回のスピーカーは園田ばくさん。 いろいろなお話を聞きながら、僕自身にも、ひとつ大きな気づきがありました。
それが、
「自分から出てきたことには、自己虐待が起きにくいんじゃないか?」
ということです。
今日はそんな話を書いてみようと思います。

「思い出の一曲は何ですか?」と聞くと、歌が変わる
この日は、僕がずっとやっている「青春の1曲セッション」も、その場で体験してもらいました。
やることは、とてもシンプルです。
「あなたの青春の思い出の曲は何ですか?」
と聞く。
そして、
「その曲には、どんな思い出がありますか?」「その曲を聴くと、どんな景色が浮かびますか?」
そんなことを少し聞いて、僕がその場で伴奏して歌ってもらう。
ほとんど一発勝負です(笑)。
でもね。
これが、とても面白いんです。
普通にカラオケで歌うと、
「あの人はうまい」
「音程が外れた」
「声が出ている」
みたいな「評価」が、どうしても入りやすいですよね。
ところが、その人の思い出を聞いてから歌ってもらうと、そんなことがどうでもよくなってしまう。
声が小さくてもいい。
音程が外れたっていい。
その人が歌っていること自体に、意味が生まれるんです。
なぜなら、聴いているのは「歌唱」ではなく、その人の人生だから。
これは、とても大切なことだと思うんです。
歌は、人と人の間にある壁を一瞬でなくしてしまう
さらに面白いのは、初対面同士でも、その人の思い出の歌と、その背景にある物語を知ると、一気に距離が縮まることです。
肩書きも、仕事も、年齢もあまり関係なくなる。
「ああ、この人にもこんな時代があったんだ」
と、その人の人生が見えてくる。
音楽って、コミュニケーションなんですよね。
歌を上手に歌うためだけにあるんじゃない。
人と人がつながるためにも、音楽はある。
今回も、それを改めて体験しました。

僕の中には「自分を責める人」がいる
そして、その場で僕自身の話にもなりました。
僕は昔から、歌っていると頭の中に「うるさい人」が出てくることがあるんです。
「今、音を外したぞ」
「声、出てないじゃん」
「そんな歌で人に教えていいの?」
まあ、うるさい(笑)。
ずっとこの声と戦ってきました。
でもある時、
「これって自己虐待じゃないか?」
と思ったんです。
それからは、その声に、
「もうちょっと静かにしてくれる?」
と言うようになった。
さらには、
「文句ばっかりじゃなくて、たまには褒めてよ」
と言うようになりました(笑)。
そうしたら、不思議と以前より静かになったんですね。
でも「うるさい人」が出てこない仕事もある
そこで最近、不思議なことに気づきました。
この「自分を責める声」は、いつでも出てくるわけではないんです。
例えば僕は、作曲や編曲、音作りをしている時には、ほとんどこの声が出てきません。
「そんな作曲じゃダメだ」
「そのアレンジは間違っている」
みたいな声が、あまり出てこない。
どうしてなんだろう?
考えてみて、ひとつ気づきました。
作曲や編曲については、僕自身が長い時間をかけて、
「どうしたらもっといい音になるんだろう?」
「こうしたらどうなる?」
「じゃあ、これは?」
と、自分で考え、試し、失敗しながら作ってきた部分がとても多いんです。
つまり、
自分で発見してきたものなんです。
借り物の「正解」が、自分を採点し始める
反対に、自分を責める声が大きくなりやすいのは、
「こうするのが正しい」
と、最初に誰かから正解を教わったものです。
例えば会社経営。
僕は音楽家なので、最初は経営なんて分かりません。
だから本を読む。
人から教えてもらう。
「宣伝はこうする」
「キャッチコピーはこう書く」
「経営者ならこう考える」
「集客はこうする」
たくさん勉強しました。
もちろん、人から学ぶことが悪いわけではありません。
むしろ、とても大切です。
問題は、
自分で考えるより先に「正解」が入ってしまうこと。
そうすると、何かやろうとするたびに、
「それ、正しいやり方なの?」
「成功している人はそんなことしてないよ」
「もっとちゃんとやらなきゃ」
という声が出てくる。
いつの間にか、仕事を面白がるのではなく、借りてきた正解で自分を採点するようになるんです。
そりゃ、苦しくなるよね。
自分で考えたことには「正解」がない
でも、
「こうしたら面白いんじゃない?」
「ちょっとやってみよう」
「あ、ダメだった(笑)」
「じゃあ、こっちは?」
と、自分で遊びながら作っている時には、採点する必要がありません。
だって、まだ誰も答えを知らないんだから。
比較する相手もいない。
だから、
「自分で考えて、自分で試して、自分で発見したことには、他人との比較が入りにくい」
んじゃないかな。
僕が感じていた、
「自分から出てきたことには自己虐待が起きない」
という感覚は、そういうことなのかもしれません。

AI時代だからこそ、自分で考えることが面白くなる
これは今、とても大切なことだと思います。
AIに聞けば、いくらでも答えが出てくる。
SNSを見れば、
「これをやるべき」
「こうすれば成功する」
という情報も山ほど流れてくる。
便利です。
僕もAIを使います。
でも、その答えを「正解」にしてしまった瞬間、自分の人生が他人の答え合わせになってしまうかもしれない。
だから、
答えをもらうためではなく、自分で考えるために使う。
そのくらいが面白いんじゃないかな。
「こうしたらどうなる?」から始めてみる
自分を責める声が出てきたら、
「自分はダメだ」
と思う必要はない。
もしかするとそれは、
誰かから借りた正解で、自分を採点しているだけかもしれない。
だったら、一度その正解を横に置いて、
「僕だったら、どうしたいんだろう?」
「どうしたら面白くなる?」
と考えてみる。
そして、ちょっとやってみる。
ダメだったら変えればいいんです。
人生も仕事も音楽も、もっと遊んでいい。
正解を上手に再現する人になるより、自分だけの答えを発見していく人になる。
その方がきっと、人生は面白い。
昨日の体験を通して、そんなことを改めて思いました。
そして音楽は、その感覚を思い出させてくれる、とてもいい遊びなんですよね。







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