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「出来合い」の音楽はもういらない

今日は、雑観を書きますね。結論がないブログです。


「学生時代の音楽の授業」って、極端に「好き」「嫌い」な人に分かれてた気がします。


「好き」と感じてた人は、ある程度「楽器」や「歌」が褒められた事がある人。

嫌いな人は、全くその逆の人。


私の持論は

「音楽の神様は、どんな人にも平等」


神:「はい。あなたは音楽していい人。あ!あなたはやっちゃダメな人ね」

なんてことは、言いません。



例えば、ギターを手に入れて練習を始めたら「F」コードが押さえられない問題にぶつかります。

歌を歌っても、高い声が出なくて、好きな歌が楽しく歌えない。

そういうことはあります。



バリの伝統音楽で「ガムラン」があります。

今では、ちょっと観光化してしまったようですが、その昔は「村」単位で、村民がお祝いの時などに、みんなで楽器を持ち寄って、演奏していると聞いたことがあります。


そこで、若い人は音符の早くて高い音が出る楽器。 そしてお年寄りは、音数が少なく、低音でゆっくり演奏できる楽器を使うそうです。


お年寄りは、若い頃には難しいテクニックを使う、音符が早くて高い音が出る楽器を演奏してましたから、音楽全体はしっかり理解しています。

だからこそ、音楽全体を支える低音でゆっくりした音には、お年寄りはなおさら適任なんです。

ここがずれると、音楽全体が総崩れしますからね。



つまりね、音楽は適材適所でいいと思うんです。

高い声が出る人は、そういうパート。

ギターの「F」が押さえられる人は、そのパート。


本来音楽は「アンサンブル」ですから、何も全部自分一人で演奏する「スター」になる必要はないわけです。

それなら、楽しく誰でも音楽できますよね。



ぜひこの音源↓は聴いてほしい! 中央アフリカの赤道付近の熱帯雨林に住むピグミー族の音楽。


世界最高峰のボーカルアンサンブルと言っても、私はいいと思っています。


ここには「自由」「調和」「共鳴」「信頼」「楽しさ」「喜び」が溢れていると私は感じるんです。


純粋に楽しそう。


そう、音楽や歌は、触れてみて不快になることなんて、本来は絶対にないんです。

 

学校教育で学ぶ音楽は「ランク付け」なのではないかと、私は感じています。

その区別は「あなたは『才能』ある人ね。あなたは『ない人』ね」という感じ。



ではその「才能」ある、ないの基準はなんなの?というと意外とはっきりしてない。


高い声が出る人?

音程がいい人?

ピアノが上手な人?

もちろんそれは「才能」ですが、総合的にみて「音楽の才能がある」と言えるのでしょうか。


そもそも、音楽は「才能」がある人しか、触れてはいけないのでしょうか。


そしてさらに「音楽の才能がない」とレッテルを貼られた人は、「才能がある」と言われている人の音楽を、ありがたく「拝聴」することしか、権利を与えられないのでしょうか。



 

今日、せっかくのクリスマスだから、何かその場で歌って配信したり、歌をアップしようかなって思ったんですが、どうも「不納得」で体が歌を歌おうとしません。


ずっと引っかかっているのが「これって一方通行じゃないか!」という思い。


「いやいや、歌ぜひアップして下さいよ!楽しみにしてますから」という心優しい方もいらっしゃるのは、本当に嬉しいしとても感謝しているんです。



でも、それじゃあ、これまでの「与えられた音楽を聴くしかない」という状況と、なんら変わらない。

あ! これは尾飛が「僕は才能ある選ばれた人だから」と思っているということでは、全くないです。むしろその逆で、今でも「才能がない」と思ってます。その辺はこの動画で話してます


話が脱線しましたが、もう「配給型」の音楽の時代は終わった、と感じているということなんです。

先程のピグミー族の歌は、自由に参加して、自由に歌って、自由に楽しんでます。

音楽は自由なんです。


「ありがたく聴くもの」じゃない。 配給型の「出来合い音楽」なんて、もういらない。

 

だからと言って、私は「みなさん音楽に参加して下さい」と言う思いはありません。

だって音楽は自由だから。


強制されない。


「ちょっと参加してみようかな」「一緒にいれたら嬉しいな」

そんな思いが大事だと思うんです。


結論がないブログですが、この『「結論」や「答え」を持たないといけない』という感覚も、少しづつ世の中で変わってきているんじゃないかなとも思っています。


音楽をやっていると、そこは全く「答え」がない世界です。

世界標準の調律は「A=440Hz」であり、これが「正解」ですが、その正解理由は不明確です。

バイオリンのように「フレット」がないものは、自分の指の角度や耳の感覚で、音程を作ります。これも「正解」があるようでないもの。


リズムも、メトロノームにぴったり合っていれば「正解」かも知れませんが、実際に人が「心地よいリズム」と感じるリズムを「波形」で観察すると、微妙なズレがあります。

つまりは「曖昧」


 

「曖昧」でいいじゃないか

「自由」でいいないか

「できる事」でいいじゃないか


あ〜、そうかあ。これ逆にしてみたらピンときました。


曖昧はダメ→「ちゃんと正しく!」

自由はダメ→「自分の意思を殺して!」

できることだけじゃダメ→「努力してトップを目指して!」


これって、本当に苦しいね。

でも、この思考ってよく目にするし、自分もこうして生きてきた部分が多々あります。

そして、こちらを徹底してできるようにした人のことを「才能ある人」って、今はいうのかも知れませんね。


みなさんは、どう思いますか?


そんなことあれこれ考えてたら、頭がピンクになってしまった!


 

1月9日のライブも遊びにきてね。一緒にまた歌いましょう!





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